我が家の日めくりカレンダーに、
「思ったようにはならないが、やったようにはなる」という言葉がある。
陶芸の電動ろくろを回している時、この言葉の意味がよく分かった。
頭の中に理想の形を浮かべ「今日は素晴らしい器を作ろう」と意気込む。
まずはイメージすることが大切だ――そう自分に言い聞かせる。
しかし、粘土は思い通りには動いてくれない。
強引な力加減には応じてくれず、悪いクセも見逃さない。
こちらの迷いがあれば、そのまま形に現れる。
まるで「粘土にも都合がある」と言わんばかりだ。
素焼きや釉薬でも予想外のことが起きる。
良い仕上がりに出会うこともあれば、思い描いた色から外れてしまうこともある。
それでも続けていると、もうひとつ気づくことがある。
実際、やったようになっているのだ。
だから、技は磨き続けなければならない。
けれど、極めようとすればするほど世界は深く、
自分の未熟さに立ちすくむこともある。
それでも、そこで気落ちしてはいけないのだと思う。
キャリア形成の世界には、こうした感覚に寄り添う考え方がある。
「計画された偶発性」――思い通りにいかない道の途中で、
思いがけない良い出来事に出会うには、偶然をつかめる状態でいることが大切だという知恵だ。
技を磨き続けることは、その“偶然をつかむ準備”でもある。
ろくろの上の粘土を見ていると、人生も同じだと思えてくる。
思い通りにはならなくても、手を動かした分だけ何かが残る。
その積み重ねの中で、ふと良い偶然に出会うことがある。
結局のところ、
思ったようにはならない。けれど、やったようにはなる。
その言葉は、肩の力を抜いて前に進むための、ちょうどいい指針なのかもしれない。