🌿 「意味を耕す」ということ

若い頃は、「誰に、何を、どのように」伝えるかを常に考えていた。
目的があり、役割があり、成果があった。
それが、自分の存在を証明する方法だった。

けれど今、役割が薄れ、時間が広がったとき──
「自分はなぜ生きているのか?」「自分は一体何者なのか?」

問いが、静かに立ち上がってくる。


そしてついには、目的ではなく、存在そのものの意味を探す試みへと行き着く。

これから、写真に言葉を添えたり、言葉の芽吹きを待ちながら問いを続けていこうと考えている。
この問いは、誰かに答えてもらうものではなく、自分の中で、静かに耕していくもの。

“いまここにあること”に意味を滲ませるもの。
脇に置いてきた自分の中の感性、感覚をもう一度そっと蘇らせるもの。

「ゆかしがり」とは、古語で「見たい・聞きたい・知りたい」と願う心。
歳を重ねても、やることが見えてこなくても、好奇心を持ち続けたい、感じ続けたい。

─そんな思いから、この言葉を選んだ。

サルトルは「実存は本質に先立つ」と語った。
人間はまず存在し、そのあとに意味をつくる。
それは、生きながら意味を耕していく存在ということ。
今、意味が定まらない時間に意味を滲ませようとしている。
それは、消費する生ではなく、耕す生と言えるかもしれない

外に置くことで、自分との距離が少し変わる。
成果ではなく、問いの途中の記録を残したいと思っている。
写真とエッセイ、そして言葉の芽吹きを待つ記録。
それらを通して、意味の定まらない時間に静かな輪郭を与えようとして
いる。

そして、その試みが、誰かの心に触れるかもしれない──
それは「届いてしまうかもしれない」偶然の力であり、静かなアンガージュマンでもある。





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